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岡山
岡山県(おかやまけん)は日本の本州の西端の中国地方に位置し、瀬戸内海に面した県。瀬戸内海には大小合わせて約90個の島を有す。広島県東部に位置する備後地方と合わせ、古くは「吉備の国」と呼ばれた。
古代は吉備の国といわれ栄えていた地域である。 奈良時代に権勢を振るった吉備真備は吉備国出身で、下道氏の一族である。 室町時代には鎌倉幕府倒幕に活躍した播磨の一豪族・赤松則村(円心)が播磨・備前・美作3国を領有。
以後赤松氏が代々3国の守護職を受け継いで、この3国はほぼ連動した歴史を展開する。
赤松満祐が嘉吉の乱で時の将軍足利義教を討ったため赤松氏は一時衰亡、その後は山名氏が3国を領有している。 戦国時代に東軍の細川勝元より3国守護職を約束された赤松政則が山名氏を追放、再び3国守護職に返り咲く。しかし、赤松氏の復活もここまでで、三石城城主・浦上村宗によって政則の子が殺され赤松氏は衰退の一途をたどる。
赤松氏にとって変わった浦上氏であったが、晴宗の代には家臣であった宇喜多直家によって滅ぼされた。
戦国期を通じ、現在の岡山県域を統一する一大勢力はついに出なかった。 これは、岡山県が戦国前期には尼子氏・大内氏などの草刈場と化し、後期においては東の織田氏や西の毛利氏の衝突地点なったためである。その中で、備前の宇喜多氏・備中の三村氏などが国人領主をまとめて勢力を誇っていたとはいえ、これも東西勢力の代理戦争との嫌いがないではなかった。
豊臣秀吉との縁を得、戦国末期まで家を保持・成長させた宇喜多氏は例外であろう。
廃藩置県により、明治4年(1871年)7月14日、岡山藩を受け継いで、岡山県が備前国を範囲として設けられた。明治8年(1875年)12月10日に、備中国と備後国にあたる小田県編入。
明治9年(1876年)4月18日に、備後国6郡を広島県に移管、美作国にあたる北条県をあわせた。 これ以後は、昭和38年(1963年)に日生町東部の福浦地区(寺山を除く)を兵庫県に移管して以来、現在まで特に変更はない。
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